ダッシュテーション

カフェとダンスとオタ活と。まるで想像しなかった30代を過ごしている独身㊛のブログです。

不条理のなかで自分にできることとは?100分de名著:カミュ「ペスト」第2回

こんにちは、コミンです。

 

 先日、第1回としてご紹介したTV番組100分de名著:ベール・カミュ著「ペスト」の第2回です。

 第1回では、オランという町で感染力が強く致死率の高い疫病「ペスト」が流行、町が封鎖されてしまうところまでを見てきました。
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それでは早速第2回を見ていきましょう。

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※以下の引用はすべてアルベール・カミュ著『ペスト』からです。

 

<第2回>

港も閉鎖され、陸路も海路も絶たれ完全に孤立したオランの町。
5月には食料補給の制限が決まり、店や会社が閉鎖。
教会では、イエズス会のパヌルー神父がこんな説教をします。

 

「わが兄弟たちよ、あなたがたは災いのなかにいます。今日、ペストがあなたがたに関わるようになったのは、反省すべき時が来たということなのです。心正しい人は恐れることはありません。しかし悪しき人々は震えおののく必要があるでしょう」
 
これによって聴衆はこれまで漠然と感じていた考えをはっきりと意識することになる。
 
つまり、自分たちは何か知らない罪を犯したために有罪を宣告され、想像を絶した監禁状態に服役させられているという考えである。
 
聴衆のなかに、偶然足止めを食った旅行者ジャン・タルーという男がいました。 タルーは、この説教を聞いたあと、医師リウーを訪ねて、ペスト患者の汚物処理や死体処理をおこなう保健隊への志願を申し出ます。
リウーは感謝しつつも、非常に大きな危険をともなう仕事であることを説明したが、タルーの意思は変わりません。
 
ここでタルーがリウーに聞きます。
 
「神を信じていますか、先生?」
「いいえ。(略)私は暗い夜のなかにいます。そのなかで明るく見きわめようと努めているのです」
「なぜ、あなた自身はそんなに献身的になれるのですか?あなたは神を信じていないのに」
医師は、(略)もし自分が全能の神を信じていたら、人々を治療するのをやめて、人間の面倒をすべて神に任せてしまうだろうから、といった。
 別れ際、今度はリウーがタルーに尋ねます。
「いったい何が君をそうさせるんです?こんなことを引き受けるとは」
「分かりません。僕の倫理かもしれません。」
「どんな倫理です?」
「理解することです」
中条解説
カトリック的な土壌のなかでは、こういった災厄は神というものと切り離すことができない。これは神が下した人間への罰であると考えることで、だから神が救ってくれるかもしれないという導きにつながる。
しかし、リウーとタルーはこの考え方に組さない。神による天罰としてしまうと「人間の責任」が消えてしまうからだ。
タルーは理解することが自分の倫理だといっている。「倫理」という言葉が当てられているが、フランス語の原語では「モラル」と書かれている。
モラルの語源は「行動のしかた、行動様式」である。
リウーの方は見きわめることといっているが、前後の文章を読むとその言葉の底に、非常に苦い個人的な経験がある。それはリウーの言葉でいうところの”果てしなき敗北”。ペストで死者が出た時点で、死者は取り返しがつかないから、リウーにとっては敗北である。それにあらがうこと、闘うことが「見きわめること」のなかには含まれている。
この裏には作者であるカミュの考え方がある。人間の人生とは思い通りにならない「ペスト的状態」とでも言うべき敗北を刻印されている。しかし敗北を認識することは、イコール闘いを放棄することにはならない

 ここで、案内役の伊集院光さんがこう言いました。

人間はそもそも死ぬもの。遅かれ早かれ必ず死ぬ。そこに理由もない。ペストという病気があると早めに死ぬ可能性が高いとわかるだけで、死ぬという『ペスト』は変わらない。また、死ぬとわかった時点で生きることがわかるという哲学的な言葉としてあるが、この物語にはこれが流れている」
 
いつもながら伊集院さんは共感しやすい言葉で話してくれますね。
 
平穏な日常のなかでは、私たちは自分の倫理やモラルを意識することは多くはありません。しかし、ペスト状態(不条理に襲われている)によって、考えることに直面させられるという場面ですね。
神職である神父は、災厄は神による自身のモラル(行動のしかた)についての反省の機会であるとして、救われたいのなら正しく生きよと説き、
旅行者タル―は、自身の倫理によって行動すること(危険な保険隊に入る)を選び、
リウーは、医師としては死者を出してしまった時点でペスト(不条理なもの)に敗北しているが、それを認識し見極めることでペストと闘おうとしています。
他人に影響されるのではなく、他人に考えてもらうのでもなく「私はどうする」という自分自身のモラルを考えることが大事だと感じました。
 
翌日、早速タルーは有志による保健隊を結成。そこにグランという下級役人がいます。
グランというどこにも英雄的なところのない男が、いまや保健隊の事務の要の役割を果たすことになった。グランはいつも自分そのままの善意をもって、ためらうことなく「いいよ」といった。
彼が望んだのは、ただささやかな仕事で役に立ちたいといことだけだった。
中条解説
下級役人グランははじめ、何ら秀でたところのない凡庸な男として描かれていた。ところがこのヒーロー的要素を全くもたないグランが、保健隊に入るや否や『自分にできることをやる』というモラルを貫き通したことで保健隊の要になっていく。
『ペスト』という作品は、筋書きだけ取り出すと、ヒーロイズムの讃歌のように見える部分があるが、実はそうではなく、グランのような凡庸な小さな人間が誠実に自分の仕事を果たすことで、きちんと貢献できることも書いていて、これが『ペスト』という作品の懐の深さである。
 
グランは本職(下級役人)としては目立ったところのない男だったが、ペストによって意識した自身のモラルの通りに行動することで、大きな役割を果たす姿が描かれています。小さな仕事と見えることを愚直におこなっていくことの重要性と、行動の理由が自身のモラルであれば、行動することへの躊躇いは出てこないのかもしれないと感じました。
一方、恋人のいるパリにどうしても帰りたい新聞記者ランベールは、密売人コタールに頼んで非合法に町を脱出しようとしていました。
しかしその計画はあと少しというところで何度も失敗し、疲れ果てたランベールは、ある晩リウーとタルーを家に招き話をします。
「僕があなたたちと一緒にやらないのは僕なりの理由があるからです。ほかのことなら、今でも体を張ってでもできるつもりです。スペイン戦争もやりましたから」
「どちらの側で?」とタルーが尋ねた。
「負けたほうです。しかし、それ以来僕はすこし考えたんです」
「何を?」とタルー。
「勇気についてです。いまも僕は、人間が偉大な行為をなしうると知っています。しかし、その人間が偉大な感情を持てないなら、僕には興味のない人間です。 それではタルー、あなたは愛のために死ぬことができますか?」
「わからない。でも今は死ねない気がするな」
「ですよね。ところがあなたは一個の観念のためには死ねるんです。でも僕は観念のために死ぬ連中にはもううんざりなんです。僕はヒロイズムを信じません。英雄になるのは容易なことだと知っているし、それが人殺しをおこなうことだと分かったからです。僕が心を惹かれるのは、愛するもののために生き、また死ぬことです」

 ランベールは戦場での、英雄になるためなら人殺しをしてもいいというヒロイズムに、とことん嫌気がさしています。志願して危険な仕事をしようとすること、自分が死ぬかもしれないのに保険隊に入るということがヒロイズムだと感じていますね。

ここでリウーは、自分たちの行動はヒロイズムとは関係がないことを語ります。

「こんな考えは笑われるかもしれないがペストと戦う唯一の方法は、誠実さです」
「誠実さって。いったいどういうことです?」とランベールは急に真剣な顔になって聞いた。
「一般的にはどういうことか知りません。しかし私の場合は、自分の仕事を果たすことだと思っています」 
 
このあと、ランベールは自分が町を脱出するまで、保健隊で働きたいと申し出ます。季節は、真夏の灼熱がもう目前に迫っていました。
中条解説
第一回でランベールが理念や抽象に対して、非常な反感があることをみてきたが、それはスペイン戦争での経験によるものであることがここでわかる。
戦争は基本的には理念によってするものである。人民解放のため、平等のため、自由のため、平和のための戦争なんてことまでいう。
実際に戦争に参加したランベールは、理念に準ずる人たちが結局は人殺しをしているのを目の当たりにした。戦争で英雄になれる人というのはたくさん人を殺したからだということになり、理念とか抽象に対する嫌悪感が骨の髄まで染みついている。 そのランベールを動かしたのが、リウーの言葉『ペストと闘う唯一の方法は誠実さです』。 リウーは、自分にできること(自分の職務を果たすこと)でペストと闘おうとしているのであって、決して高邁な理念、自分よりも大きなものに準じて立派なことを成し遂げようとしているのではない。自分に何ができるかということを見きわめてそれをおこなう、それが誠実さだといった。
また、ランベールの脱出を手伝っているコタールは密売人(犯罪者)で、ペストが来たことを喜んでいる。平和な世の中であれば逮捕されるかもしれないが、ペストでてんやわんやになっているから逃げていられるからだ。ペストに便乗して我が家の春を謳歌している人物であるが、カミュの書き方ではこの男を断罪しているわけではない。
ペストという災厄に襲われたなかで、それぞれの人間の「生」のあり方であって、基本的には肯定している。
 
様々な立場と考え方の人たちがいて、同時に同じ大きな不条理に襲われることで、その考え方が浮き彫りになりました。
しかし、その考えをやりとりすることで、自分の認識は一様であって全容ではないことを知り、行動を変えていく人がいます。
他人と交わること、自分ひとりの考えでは見えなくなっているものが、他人によってもたらされることは実は多いと思います。
発生から4ヶ月が経ち8月になると、暑さとペストの猛威はピークに達します。
やけになった一部の人たちが暴徒化し、死者の数は急増して棺も墓地も足りなくなってしまいました。
しかし何よりも恐ろしいことに、親しい人との別離に苦しんでいたはずの人たちが、記憶も想像力も失ってしまっていきました。
”この町では、もう誰も大きな感情の起伏をもたなくなった。市民たちは足並みを合わせ災厄にいわば適応していった。しかし、医師リウーはそれこそがまさに不幸なのだと考えていた。
絶望に慣れることは、絶望そのものより悪いのだ。記憶もなく、希望もなく、彼らはただ現在のなかにはまりこんでいた。げんに彼らには、現在しかなかった。
中条解説
絶望に慣れるということは、いわば「時間の囚人」のような状況になる。未来も過去も、記憶も希望も失って、現在だけの囚人になるということ。絶望に慣れてしまうと、絶望から脱出しようという気力もなくなる。これがペストがもたらした最大の悪であり不条理である。

 ここで番組では、作者カミュの人生に触れます。

 

アルベール・カミュは、1913年アルジェリアに生まれた。父親を戦争でなくし貧困街で育った。家には一冊の本もなく、家族には文字を読めるものがいなかった。苦学して新聞記者になったが、アルジェリア独立派に加担した罪で故郷から追放され、フランス本国へ渡る。ナチスドイツによる占領下にあったフランスでレジスタンスの新聞記事を書きながら、『ペスト』の執筆を始めた。幾度も書き直されて、1947年戦後のパリで発表されると、戦争という災厄をくぐり抜けた人々に多くの共感を呼んだ。
 
中条解説
カミュといえば、ノーベル文学賞をもらったフランスの作家、セレブで華やかなイメージがあるが、前半生を見る限りは、はっきりと暗い人生である。アルジェリアに入植した貧しいフランス人家庭で育ったわけだが、アルジェリアから引きあげてきたフランス人は「ピエ・ノワール(黒い足)」と呼ばれ差別があった。
また、ペストを執筆していた時代、カミュ夫人はアルジェリアのオランにいた。ところが、フランス本国とアルジェリアとの連絡が絶たれてしまい、カミュはまさに、リウーやランベールのように別離の状態で追放を余儀なくされていたのである。 つまり、別離と追放は単なる小説のテーマというよりも、むしろカミュ自身の人生に刻印された経験であった。
カミュの独自性は、様々な苦難を歩みながらも『異邦人』『ペスト』『シーシュポスの神話』といった本を書き続けたことである。そこにカミュの生きる力が感じられる。カミュとは、不条理に身をもって反抗した、あらがった人物であり、そこがカミュのかっこよさである。
 
カミュの人生を見た伊集院さんが感動したようにいいます。
「リウーとカミュが響き合ってくるのを感じる。医者であることに対する誠実さのみで行動するリウーと、人間は何なのかということを「書く」ことに誠実に生きるカミュ。ここに凄さを感じる」
おっしゃる通り、リウーとカミュには通ずるものが多いですね。
不条理にあらがう唯一の方法は「誠実さである」というリウーの言葉は、次々とカミュの人生を襲った不条理に対して、「書く」ということをやり続けたカミュの誠実さによって裏打ちされています。
 
物語のなかではペストにより自身のモラルを見つめた人々が、それぞれに行動をはじめした。しかしペストはますます進行していきます。人々はこのまま迷いなく『ペスト』と闘っていけるのでしょうか。そして「私自身のモラルとは何か」言葉にしようとするととても難しいですが、今こそ考えてみるときではないかと思います。
 
第三回に続く